大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)2508号 判決

被告人 白鳥力光

〔抄 録〕

所論原判示窃盗の事実は原判決の挙示する証拠によつてこれを肯認するに難くなく、記録を精査し且つ当審における事実の取調の結果に徴しても、原判決の右認定が所論のように誤つているとは認められない。以下、その理由を説示する。

原判決援用に係る福尚徳作成名義の盗難被害届、被害品追加届及び答申書と題する各書面の記載並びに原審証人金成模の供述を総合すれば、昭和三十二年七月十九日の夜九時頃から翌朝までの間に原判示光陽研磨材株式会社内機械工場横に置いてあつた同会社所有の箱メタル三個、エキセンクランク二十個ほか原判示の鋳物類が盗難にかかつたこと及び右盗品の大半を当時、同会社から徒歩約五分の場所で銅鉄類の古物商を営む金成模が買い受けたことを明認することができる。そこで右盗品を金成模方へ売りに来た人物について考察するに、原審証人金成模の供述によると、右人物は被告人及び氏名不詳者一名であると認められる。すなわち同証人は本件以前に被告人からトタン屑を買つたことがあり、道で逢えば挨拶する程度に知り合つていた間柄であることが同証言によつて認められるので、本件盗品を買い受けるにあたり被告人を見誤るようなことはない筈だからである。次に問題となるのは、被告人が外一名の者と共に金成模方へ盗品を売りに来た日時の点であるが、右金成模の原審証言によると両国の花火の翌日、すなわち七月二十一日の夜八時頃から九時頃までの間ということになつているけれども、これは単なる同人の記憶であつて、これを裏付けるべき書類その他特段の根拠があるわけではなく、当審証人相上司、同小原友蔵の各証言に徴すると、むしろ右日時は七月十九日夜と認めるのが相当である。

しかし原判決引用に係る証人井本興二の供述によると、本件当時原判示被害会社の裏側通路は、原判示のような盗品を隠匿し易い一面の叢となつていたことが認められるので、かかる状況下においては盗品を必ずしも犯行直後に売却処分しなくても、一旦右通路の叢に隠匿し、然る後に処分することも差支えないところであつて(現に右井本証言によると、同年七月二十四日の夜には右叢の中に同会社の原判示被害品と同種の鋳物類が持ち出されていた事実が認められる)、この点に徴すれば金成模の右買受日附が七月十九日夜であるか、或は同月二十一日であるかは、本件断罪について決定的条件をなすものではないということができる。更に前記原審証人井本興二の供述によると、本件盗難の数日後である同年七月二十四日夜九時半頃同証人が原判示被害会社の警備に当つていた際、原判示被害品と同種品が同一場所から窃取されたのに気付き、同会社裏門附近の塀の外を見ると、そこの通路を被告人と覚しき者が自転車を押して歩き出し、瞹昧な言葉を残して立ち去つた事実及び同所の叢の中に同会社所有の原判示被害品と同種の鋳物類が持ち出されていた事実を肯認し得るのであつて、被告人も同夜同時刻頃同所を自転車を押して通りかかつたことは、原審において自認するところである。

よつて叙上の事実関係よりして被告人を本件窃盗の犯人と認め得べきや否やにつき按ずるに、なるほど被告人が原判示盗品を金成模方へ売りに来たからといつて、単にこの一事のみにより被告人を該窃盗犯人であると即断し難いことは所論のとおりであるが、被告人が右盗品を入手した径路について窃盗以外の事由によるものであることを窺うべき証左がないばかりでなく、本件盗難の数日後の夜九時半頃被告人が被害会社裏側通路を自転車を押しながら通りかかつたことについても、それが窃盗と無縁であることを首肯し得べき事由も認められず、却つてその際同会社の警備をしていた前記井本興二に対し瞹昧な言葉を残して立ち去つた事実と、同所の叢の中に同会社所有の原判示被害品と同種の鋳物類が持ち出されていた事実とを照合し、更に原審及び当審において取り調べた全証拠によるも、本件被害当時における被告人のアリバイの主張を認め得ない点を併せ考えると、被告人をもつて原判示窃盗犯人の一人と判定するに難くないのである。なるほど証人金成模の供述中には、被告人が本件盗品を金成模方へ売りに来た日時や、右盗品を同人方へ運搬した回数等の点につき、論旨指摘の如く原審及び当審の各証言を対比して多少、明確を欠く嫌いがないではないが、該証言事項の性質に鑑みると、この程度の記憶の不明確さは已むを得ないところというべく、同証人の供述全体から見て、同人が所論のように特に被告人に不利な供述をしたものとは認められない。されば原判決が右証言を採用して事実を認定したとて、所論の如く経験及び論理の各法則に違反するものとはいえず、従つてまた理由不備ないし理由のくいちがいがあるということはできない。

要するに当審において事実の取調をした結果は、原審の事実認定の妥当なることを一層裏付けるものであつて、本件犯行を否定する被告人の主張は、到底これを容認し得ないのである。それゆえ原判決には所論のような事実誤認の廉はなく、論旨はすべて理由がない。

(谷中 坂間 司波)

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